精神科医が見つけた3つの幸せを読んで その2
遊びの達人は私の両親
私の両親は中学校の教員でした。
父は英語の教師で、最後は校長になり、途中は中国語の大学院に行き退職してからは中国語の教師になりました。
母は音楽教師でブラスバンドの指導もしていたため、ほとんど家にはいませんでした。
そんな両親は、今でも私の遊びの達人です。
愛媛に住んでいたため、両親が遊びに行くぞ!という時は、ほとんどが
四国から出て、キャンプだったり好きだったりドライブだったりなのですが、40年以上前のことなので
出かける手段は全部船でした。
忙しい日々のため、遊びに出かけることを決めるのは2〜3時間前。
その時間は船が出る時間なので、
待ったなしです。
車で出かける時は、宿も決まっていないことが多く、車に布団が積んであったり、キャンプしたり。
宿題があろうとなかろうと関係なしでした。
自分たちの仕事、いわゆるテストの点つけ等も、船の中でしたり夜行列車の中でしたりしていました。
自分たちの宿題のことを覚えていませんが、親たちが旅先で仕事をしているのは、良く覚えています。
土曜日の夜船や夜行列車で、
スキー場まで行き日曜日に滑って、
月曜日の朝帰るというハードワークでした。
三人姉妹で、思春期になると
誰が親の遊びについていくか、
じゃんけんで決めたりしたものでした。
旅に出なくても、私が中学時代、塾で遅くなって帰っても、二人で喫茶店にドライブに出かけて留守だったりして、逆に私が年頃の娘がチカンにでも会ったらどうするの?
と言ったこともある位でした。
今思えば、両親はストレスフルな日々だったのだと思います。
仕事も忙しく、自宅では父が末っ子の母の家を継いだため、隣には祖父母や祖母が住んでいました。
母が20年前に脳出血を起こし、身寄りの無い母の双子の伯母も仲良く脳出血を13年前に起こしてから、今90歳の父は4年前まで二人を介護してきました。
そんな父は80歳半ばまで、時々母たちをショートステイに預けては、関西まで夜行バスでスキーを滑りにも来ていました。
もちろん遊んでばかりではなく、勉強する時は、家族みんなで勉強していましたが。
今ならその気持ちはよくわかります。
まだまだ今でも私たち3人姉妹両親を越えて遊びの達人ではありません。
いつか追いつけるでしょうか?