読書感想文 父滅の刃を読んで
父滅の刃を読んで
私は精神科の樺沢紫苑先生の勉強会グループにも入らせていただいていることもあり、先生がこの本を出版された時、私はすぐに買いました。
でもすぐには読めませんでした。
私には父という文字が、まだこころに引っかかってしまって。
いーかげん読まなきゃ、読もう!
先日早朝5時に起きた日に一気に読みました。
分厚い本でしたが、中には私も観たことのある映画の中の父性を探しつつ映画の紹介をする型で、父と言うタイトルへの嫌な気持ちを払拭して
仕事がスタートする迄に、スルスル読めました。
現在父は88歳
英語の教師で教育熱心
音楽の教師で、ブラスバンドなどの音楽発表会も多かった忙しくかつ、天然な母(笑)に代わって、料理を作ったり子育てを隣に住んでいた祖母達のサポートを受けつつ、子育てを主にやったのも父。私達が忙しい時期は、実家に子供を置くと、孫達の離乳食迄作っていた父。
勉強だけでなく、キャンプや
スキーも四国だったので、他の地域に遊びに行くのも、土曜日の夜に船に載って出て、月曜の朝帰り授業に出るという、勉強も遊びも
全力で家族を連れてやる父でした。
父は小学生低学年の時に父を無くしたので、理想の父親像を模索していたのかもしれません。
そんなパーフェクトな父に反発し、3人姉妹の中
私だけが父の考え方にいつも反抗していたのが私。
天然で自由な基質の母は、姉妹は父につかまり勉強さされている姿を一緒に見つつ、私だけは、父の言う通りにはならないのを見て、りえは好きなことをやっていけば良いのよと言われていました。
が、そのことも
私に何も期待してないと私は捉えてしまっていました。
祖母は、ちょっと外れた私を
可哀相だと、特に溺愛してくれたのですが。
余りにも頑固な私に、父が泣いたこともありました。
そんな父を女々しいなぁと、思いつつ冷静に見ていた思い出もあります。
今思えば、さぞかし扱いづらかったことでしょうね。
ごめんなさい。
もうパパには皆を守ってやる力が無くなったんだよ、って前に言ってたからこれも
読んでは貰えないと思うから、元気なうちに
ちゃんと言わないとね
いや、恥ずかしいし耳も遠いから葉書にしよう
姉と妹は父の勧めを素直に聞き、父の勧めた道に進みました。
でも私は獣医師という、父の反対する安定しない道に進んでしまいました。
樺沢先生のお父様が、獣医師で公務員になられたと本文に書いておられ、びっくりしましたが、私も獣医大学に進む時は、親達には公務員になるから!と言う約束で進学させて貰いました。
心の中では、絶対ならない!
メスの刃一本で治せる獣医師にナルとココロで思っていたのはナイショでした。
父と母は、お互い犬猫の好きな人と結婚しようと思っていたという、動物好きな親でしたから、私がいろんな動物を飼うことは、
基本反対はされませんでした。
あ、勉強しないからと一時飼ってくれないことはありましたが、飼っても飼わなくても同じだと判ったようで、犬猫鶏、小鳥、おたまじゃくし、蚕色々飼いました。ひよこを卵から孵化させたいと言えば、農家を色々探して有精卵も飼ってくれましたが、自分のお腹に入れて温めていたので、孵化しませんでしたけれど(笑)
そんな動物好きの親でも、約束を破った為なのか父は犬猫に関して、近くの獣医師の言うことは聞いても私のことは全然信用してはくれませんでした。
大学時代から、私も姉妹も孫まで、
英語の文献は全部父に送ると、訳して帰ってくるので、今思えば楽し過ぎました(笑)
父は私が母に似ていて、心配だ(笑)と言い、経営は安定しているのか?!大丈夫なのか?心配ばかりかけたのも、事実。
てもある日、父のかわいがっていた一匹の猫が、近くの動物病院で色々やっても口の痛みが治らない。
そこで、飛行機で関西の私の動物病院に猫を送って貰い、口の手術をして父の元へ返しました。
治療の写真を父は嫌だ!と言って頑として見てくれなかったけれど。
それから父はりえは歯の治療に凄い技術を持ってるなぁと、総てに信用してくれるようになりました。
その後同じ歳の母が20年前に脳出血で倒れ、父は私達3人娘は遠く離れており、仕事や子育ての真っ最中でもあり、後遺症の遺った母の食事作りから、身の回りのケアを全部やってくれていました。
その後15年前に母の双子の叔母も同じ脳出血で倒れ、身寄りの無い叔母も父が引き取り、2人の介護をずっとしてくれたのですが、
やることなすこと、細かくて強制的で、母達が施設に入るまで。母達への態度が、又子供時代の、総てを律するような私達への厳しさの再来のように見え、私だけでなく姉妹にも父への反発が生まれました。
でも父の介護にも限界が訪れ、もう面倒見る力がないと母達が施設に入ることになりました。
それからは、みるみる父が弱く私達、特に東京にいる姉を母親に甘えるように、依存し始めました。
そんななか姉妹達が、父に強く言うようになり、父は子供時代そんなこと言わなかったじゃないか!と父も困惑していました。
すると姉妹達は実は我慢していたのだと言うようになり、それを見ている私は逆に父が可哀想に思えるようになってしまい、私が父に優しく出来るようになっていました。
そうなると今度は私が1番優しいからと依存してくるようになり、不安になり、度々仕事場にも電話をかけてくる日々も続きました。
そんな父もこのコロナの最中に、帰ることも出来ない私達無しで独りでは暮らせないと覚悟したようで父はとても抵抗していた施設に入りました。
今では認知症も進んで、もう私達に興味もあまり向けることもなくなり、
施設で自分の決まった日課をコツコツとこなしているようです。
電話をかけても、直ぐ切り、会いにいっても長く話すことも出来ません。
今、やっと自分のことだけに
専念出来る日が来たのかもしれません。
コツコツ毎日努力する完璧な父は、永遠に超えられないと思い込んでいた昔の私。
何かあれば、父が必ず助けてくれると最近迄思っていた私
今の父には、もう自分のことが精一杯なのも判り、何だか、今頃やっと父を守るオトナになれた気がしました。遅!
父は、世の中の規範を守り、
コツコツと日々勉強を続けてきました。
それが、私には誇りだったけれど
超えられ無い山とも思っていたのだと思います。
父には昔の力強さ勤勉さはもう無いけれど、遊びにも勉強にも全力で頑張っていた姿は、私達や孫達にまで今も継がれている気がしています。
私は今も父をパパと呼んでいます。
父は英語教師だったこともあり、
私達のアルバムも父が作るような、マメ男ちゃんで。
英語もアルバムにもチラホラ書いてあるので、小さな頃からパパと呼ばせていたのにも普通の流れで。
でも思春期にそれはマズイと思ったらしく
中学生位の頃に、私達にお父さんと呼びなさい!と言い出したことがあります。
私達は今更何を!と反発し言うことを聞かないまま、今に至ります。
改めて言います。
パパずっと色々ありがとう。
これからは私がパパのことを守ります。
この父滅の刃の本を読むことで、
改めて父とこころの中で、向かいあえた気がします。
この本を書いてくださった樺沢先生に改めて感謝します。